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「10年目の福島―被災地福島を記憶すること」(弁護士 髙崎 暢)

10年目の福島―被災地福島を記憶すること

弁護士 髙 崎  暢

1 はじめに

 3月11日、福島第一原発の事故から10年を迎えたが、その記憶と経験が風化しつつある。事故の収束のめどが立たず、汚染水や廃炉の問題など困難さを増している。政府が発令した「原子力緊急事態宣言」は今も解除されていない。多くの人々が、放射性物質による汚染によって、住むところを追われ、故郷と仕事を失った。政府や東京電力などは事故や事故の影響を小さくみせかけ、補償を打ち切り、老朽原発さえも延命させ稼働させようとしている。

2 被災地福島の現状

 「たかさき法律事務所9条の会」は、福島の被災者を励まそうと、旅行会社との共同企画で、毎年3月11日に被災地を訪れてきた。今年も、10日から12日まで、発電所のある大熊町の中間貯蔵工事情報センターや双葉町にある原子力災害伝承館を訪ね、20キロ圏内にある帰還困難地域や住居制限が解除となった地域の現状を被災者のガイドで学んだ。11日2時46分、被災者への黙とうを、「請戸の軌跡の生還」(注1)と呼んでいる大平山霊園で今年も行った。

 7年目の時、「被災地は、帰還困難地域の標識も少なくなり、一見復旧が進んでいるかのようであるが、無人の広大な空き地、フレコンバッグの仮置場を覆う巨大な緑のシートは、被災地の再生はまだまだであることを実感させる。原発事故は、故郷と地域に根差した文化や産業を根こそぎ奪った。7年経った今もその爪痕は残されたままである。」と書いた。

 10年目の被災地は、フレコンバッグは中間貯蔵庫に運び込まれ巨大な緑のシートは目立たないが、真新しい大型施設が目に付くようになった。

 しかし、最も肝心な地域住民の居住が回復していない(1月1日現在、全県で居住率31・4%)居住者の半分は作業員という町もある)ため、住居地の荒廃は進み、医療施設も少ないし商店街も閉鎖されたままで、地域社会はまともに機能していない。そして、放射能の半減期から、何十年あるいは100年単位で考えなければならない帰還困難区域や未除染地域が残っている。(注2)

 その上に、とてつもない放射性の「核のマグマ」(デブリ)が猛烈な熱を発しながら、10年経った今もなお、原子炉施設の底部で不気味な牙を剝いている。しかも、今後の廃炉作業への技術的見通しがなく深刻な状況にある。今後「40年」で廃炉作業を終えるといった「見通し」が語られているが、それは主観的な願望にすぎない。そうした不透明な状況は、避難住民の帰還意欲を損なう大きな要因の一つとなっている。

 このような状況のもとで、被災地福島の住民の暮らしの復興、人間の回復という復興はほど遠いことを痛感した。10年という節目が復興の「区切り」にならないことを願いたい。まして、「復興五輪」などという言葉は虚しく響くだけである。

3 初めて訪れた施設

(1)原子力災害伝承館

 福島県の施設で、原発事故の被害を伝え、資料約170点が展示されている。津波の到達時刻を示したままの時計や流されたポストが並ぶが、双葉町に掲げられていた「原子力 明るい未来のエネルギー」の看板は展示されていない(展示を求める声が強く近々展示されるとのこと。後日、伝承館に掲示されるという報道があった)。この標語は、原発誘致による地域の発展の願いがにじみ出て、安全神話を過信する怖さを暗示する。

 しかし、何を後世に伝承しようとしているのかよくわからなかった。特に、事故の起きた原因を人災という側面から考える材料に乏しく、原発を推進し安全を広げてきた反省も不十分である。それは、「安全神話の崩壊と対策を怠った人災」の説明の展示物に「東電や規制当局による津波への備えが不十分であったことは各調査報告書からも明らかであり事故を二度と起こしてはなりません」としか記載されていないことに象徴されている。

(2)中間貯蔵工事情報センター

 国の委託を受けた民間会社が福島県で行なっている中間貯蔵事業の概要等を紹介している。「30年以内に、福島県外で最終処分を完了」するための除去土壌の貯蔵、可燃物の焼却施設、焼却灰の貯蔵がその内容である。

 しかし、最終処理地の確保のめどが立っていない。この地大熊町が最終処理地に変わってしまうのではという嫌な予感が頭をよぎった。

4 汚染水問題

 原発構内は1000基を超える汚染水タンクが埋め尽くし、風評被害を懸念して強く反対している漁業者の声を無視して、汚染水の海洋廃棄が強行されようとしている。汚染水は、「核のマグマ」を冷やした水と原子炉建屋に流入した地下水で高濃度のトリチウムが含まれ、体内に取り込まれて内部被ばくの危険性が高い。実際、トリチウム放出量が多い佐賀県玄海原発の稼働後に白血病の死亡率が高まったという報告がある。

 汚染水は、核のゴミと同様に、人体への影響だけにとどまらず、「地域崩壊」「環境破壊」の危険を抱える、原発の落とし子である。

5 おわりに

 10年前に始めた「福島の被災者を励ます旅」は私たち参加者が逆に励まされる旅でもあった。これからも続ける必要性を痛感している。被災地福島は、私たちにずっと見つめ記憶することの大切さを語りかけていた。10年経った今も、原子力をコントロールできると考えた人間の愚かさと傲慢さを忘れるなと語りかけていた。

(注1) 海岸から200mにあり、天井部分まで水没した請戸小学校の6年生の男子が、大平山から国道に出られる道を普段から知っていて、その子の指示に従って児童82名と教職員は全員避難できた。私が勝手に命名した。

(注2) 国は第一原発周辺6町村の計画に基づき、帰還困難区域全体の8%を「特定復興拠点区域」に認定し除染などを行っている。認定の基準は「経済活動に適した地形」などで残り92%は白紙。復興の優先度が集落ごとに線引きされ、多くの住民に帰還を諦めさせたという。

(2021年3月27日記)

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