長崎原爆投下の日に当たり(「9日の日」行動の原稿)
弁護士 髙 崎 暢
Ⅰ 76年前の8月9日は、長崎に原子爆弾が投下された日であり、8月6日と同様に忘れてはならない日です。
アメリカが投下した2発の原子爆弾は、一瞬のうちに広島・長崎の街を壊滅し、その年の末までに21万人の人々を無差別に殺傷しました。真っ黒に焦げ炭になった屍、命が助かった人も全身やけど裸同然、水膨れになった皮膚がはがされて指先からぶら下がったり、足元で引きずっていたりして、無言で歩き続ける多くの人たちの列、その人たちも、もがき苦しみながら次々死んでいったのです。その情景はまさにこの世の「地獄」でした。この情景を忘れてはならないと思います。
かろうじて生き残った被爆者は、放射線で肉体がむしばまれ、今なお心と体の痛みに苦しめられています。
平均年齢83歳をこえる被爆者たちは、今なおその悲劇的な体験を語り「核兵器と人類は共存できない」と警告し続けています。
私たちは、被爆者の方々とともに、この悲劇を二度と繰り返してはならないと声を大にして訴えます。
Ⅱ 4年前、採択された核兵器禁止条約は、今年1月22日に正式に発効しました。条約が効力を持ち、核兵器は史上初めて違法となりました。調印国は86か国、批准国も55か国となり、今も条約への支持が大きく確実に広がっています。
この条約は、締結した国は当然、条約を拒んでいる国も、政治的・道義的に責任を問われ、核兵器を自国の「安全」のために持ったり使ったり、核で他国を脅かすこともできなくなりました。
Ⅲ しかし、残念ながら、唯一の戦争被爆国である日本の政府は、被爆国に対する国際社会の期待や、被爆者をはじめとする国民の願いに背を向けて、核兵器禁止条約に一貫して反対し続けています。
菅総理大臣は、6日の、広島での平和記念式典でのあいさつで、「核兵器のない世界の実現に向けた努力を積み重ねる」という大事な部分を読み飛ばしました。官僚の作った文章を理解しないまま読み上げたことが明らかになってしまいました。唯一の被爆国の首相の品位を落とすものになりました。
また、菅総理大臣は、「この条約は核兵器国、多くの非核兵器国から支持を得られていない」と述べていましたが、昨年の国連総会で、加盟国130か国、3分の2の多数の国が、「核兵器禁止条約」を支持する決議を採択しています。 核兵器のない世界の実現に向けて、国際社会は確実に動いています。この事実を直視しない発言といわざるを得ません。
私たちは、日本政府だけでなく、核兵器の保持の有無にかかわらず諸国の政府に禁止条約への支持と参加を呼びかけ、その拡大のために尽力を尽くし、核兵器禁止条約を力に核兵器廃絶へと前進させたいと思います。
今、東シナ海、台湾をめぐる米中対立と軍事的対決が日本の目前で展開されています。もし台湾海峡で軍事衝突が起これば、沖縄や日本の米軍基地が出撃拠点となり、安保法制によって、日本の戦争への参加・核兵器使用の危険も現実なものとなりかねません。アメリカの「核の傘」「核抑止力」への依存は日本国民の平和と安全を危険に晒すものに他なりません。
私たちは、国際紛争の平和的解決を望みます。しかし、核兵器で守れる平和はありません。軍事力で威嚇しあうことは、核使用の危険を高めるだけです。破滅的な被害をもたらす核戦争に勝利者はいません。
そもそも「核抑止力」とは、相手より強大なものを持たないといけないという軍拡競争で、無限にエスカレートするもので、抑止力は幻想にすぎません。
しかも、核抑止力論は、必要に応じて核を使用する、核兵器使用を肯定するという根本的な誤りを犯す議論です。そのことに気づいて欲しいと思います。
Ⅳ 現在、世界には1万3000発の核兵器が存在し、実戦に備えて配備されている各弾道は約4000発にのぼります。核兵器の使用が殺戮と破壊の規模においても、戦闘員と一般市民とを問わない被害の無差別性、残虐性においても人類の生存と相いれない究極の犯罪です。核兵器廃絶は、人類の生存にかかわる緊急の課題です。
そこで、核兵器廃絶のために、安保法制を廃止する政府、核兵器禁止条約に参加する政府作ることが緊急な課題となります。
今年の秋までに必ず衆議院選挙が行われます。その選挙で、市民と野党の共闘の力で自公政権をやめさせ、新しい政権が誕生すれば、日本の「核に傘」に頼る安全保障政策に大きな転換をもたらし、核兵器廃絶、日本とアジアの平和と安全にも大きな貢献となります。
まさに政治的決断の時なのです。 (2021年8月9日)