ロシアのウクライナへの侵略行為から3か月以上が経つが、今なお、罪のない市民・こどもの犠牲が続き、数々のロシアの戦争犯罪も明らかになっている。20世紀に入り、国際社会は、力により支配ではなく、法と倫理にもとづく国際秩序を求めてきた。それが国連憲章であり、核兵器禁止条約などの条約である。しかし、ロシアは、19世紀のような武力による領土拡大を進めた。時代錯誤のロシアの侵略行為は、明白な国連憲章違反である。今こそ「国連憲章を守れ。戦後の平和秩序を回復する。」という一点で団結し、国際世論によって、直ちにロシアの侵略行為を止めることである。
日々深刻さを増すウクライナの危機に乗じて、「憲法9条で国は守れるのか」と憲法9条の改憲、敵基地攻撃能力の保持、核兵器共有、防衛費を倍増すると声高に叫ばれている。しかし、報復の連鎖である軍事に対する軍事力の行使や核抑止力論が、この間のウクライナの危機では、無力であったこと、幻想であったことが明らかにされた。また、防衛費の倍増を叫ぶが、それで何をするのか具体的に語っていない。玩具をたくさん持ちたいという子供の発想である。軍事費の増大は国民の生活の重大な打撃を与える。現在の防衛費5兆円で公的医療保険の自己負担(1~3割)をゼロにできる。年金受給者4051万人全員12万円を上乗せするに4兆8612億円あれば足りる。消費税を8%に引き下げることができる。安全保障の目的は国民の生活と暮らしを守ることであるが、防衛費を倍増させることが生活と暮らしを破壊することは明らかである。絶対に反対する声を上げなければならない。
今、日本の平和と安全保障が問われている。「攻められたらどうするか」ではなく、「どうすれば戦争を起こさせないか」という平和外交、平和憲法という武器での平和外交が不可欠。皆さん、冷静に考えてみましょう。本当に、憲法9条を改正して国を守ることができるのか。そもそも憲法は、自国の政府権力を規制するもので、どのように改正しても外国をけん制できない。「武力行使は辞さない」と憲法に明記しても、周辺国の警戒感を生み出すだけである。「戦争の準備があると唱えれば国を守れる」と言わんばかりの主張は、「平和を唱えれば平和になる」と同じで、言葉の遊びでしかない。また、敵基地攻撃能力の保持とは、「正当防衛にとどまらず、自衛のための先制攻撃を認める」ということである。しかし、憲法は先制攻撃を禁止する。ヒットラーも大日本国帝国も「自衛」の名で先制攻撃に走り、そして滅びたのです。イラクで死んだアメリカ兵やウクライナで死ぬロシア兵を見てわかる通り、自国の先制攻撃は、無駄に国民を危険にさらす行為である。憲法9条は「戦争を国際紛争解決の手段として永久に使わない」と書いている。日本の平和憲法を世界に広める努力こそ、本当の自衛行動である。逆に、9条の改正は、日本の現実的な安全を損なう自滅の道である。このことを肝に銘じたい。
来る7月の参議院選挙では、日本を戦争する国にするのか問われることになります。投票場に足を運び、憲法9条を変えてはいけないとの意思表示をしましょう。ウクライナの事態を見て、戦争は絶対にしてはいけないという声が急速に広がっている。日本を戦争する国にしてはいけないという投票をしましょう。戦場に駆り出されるのは自衛隊員です。自衛隊員を一人も命を失わせてはいけない。戦場に駆り出されるのは、皆さんおの子ども、孫の子どもです。今度の選挙を自分のこととして考えてみましょう。