いま、憲法が危ない。

開けられた「パンドラの箱」

開けられた「パンドラの箱」

弁護士 髙 崎  暢

<寒村ゆえに核のゴミ10万年と20億円のてんびんゆるる>(帯広市・小矢みゆき。10月11日付朝日新聞の歌壇から)

2020年10月9日、ともに日本海に面し、人口の減少・高齢化と財政難に苦しむ寿都町長と神恵内村長は、高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場選定の文献調査に応じる方針を表明した。

文献調査には、2年間で20億円という「おいしい」交付金が転がり込む。原発推進交付金が「麻薬漬け」とまで呼ばれた地元自治体の財政依存体質を生み出し、「3・11フクシマ」以降、「核で明るい未来」のはずだった立地自治体の夢は幻に終わろうとしている。

そして、核のゴミ処理問題は、10万年レベルという半永久的な対応を要する。子々孫々にまで極めて重大な影響を及ぼすものである。金の欲しさから子供の未来を金に替えてよいのだろうか。

何よりも制度の仕組み「札束で頬を叩くやり方」に道徳的な退廃さえ感じる。

北海道には「特定放射性廃棄物の持込みは慎重に対処すべきであり、受け入れ難いことを宣言する。」と明記した条例が制定されている。同条例は、「北海道は、豊かで優れた自然環境に恵まれた地域であり、この自然の恵みの下に、北国らしい生活を営み、個性ある文化を育んできた。」「私たちは、健康で文化的な生活を営むため、現在と将来の世代が共有する限りある環境を、将来に引き継ぐ責務を有して」いるという道民の思いを体現したものである。核のゴミ処理には広く道民の合意形成が不可欠である。

ところで、寿都町長は、「入学手続きに来た。これから勉強をスタートする。」と調査応募書を提出した。しかし、「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」は、文献調査を行うと次の段階の地区選定が法的に義務付けられている。最終処分場選定のプロセス上「ゴミの受け入れを返上する」という法的保障は何もない。法律は次の段階に進む際に「(首長の)意見を聴き、これを十分に尊重する」と明記する。通産大臣は「プロセスから外れる」と説明するが、その意味が「いったんレールから外して脇に置くだけなのか、白紙撤回でやめることになるのか」は判然としない。

核のゴミなどに対する住民の不安や疑問は残ったままで、むしろ周辺町村や漁業者の反対など強まっている。道民の世論調査では、「文献調査反対」が66%と賛成派31%を大きく上回った(北海道新聞10月23日~25日実施)。疑念や不安を積み込んで見切り発車が始まろうとしている。 

そもそも、核のゴミをどうするかということは国民皆で考える問題でもある。それには、国が最終処分の安全性を確立する必要がある。処分地等の選定はそれからである。

そして原発を稼働し続ける限り核のゴミは発生する。この問題の解決には国のエネルギー政策を根本から見直し、ひとたび事故が起これば取り返しのつかない被害をもたらす原発を早急に廃止することである。

これが、「3・11フクシマ」からの最大の教訓であったはずである。

(反核法律家協会2020年冬号巻頭言より)

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