ちょっと、やばいしょ!!

法の危機・日本の危機

―立憲主義、民主主義の回復を求めて、私の思いー

2016年3月29日、憲法違反の安保法制(平和安全法制整備法及び国際平和支援法)が施行された。これにより、集団的自衛権の行使としての武力行使や国際平和維持活動(PKO)や米軍等の武器等防護による武器使用や後方支援に踏み出せば武力行使と一体視され、わが国が相手国からの攻撃の対象になる可能性が高まった。
とりわけ、南スーダンのPKOにおける駆け付け警護の任務と武器使用権限が付与されるならば、自衛隊員の「殺し、殺される」という極めて危険な事態にいたるおそれがある。
今なお、安保法制に関して、「戦争への道は許さない」「9条守れ」「立憲主義壊すな」の声が絶えず、「戦争法廃止」の共同の輪が広がりを見せている。
「たかさき法律事務所9条の会」でも、「戦争法廃止」にむけ、また、平和が、民主主義が、日本が、目の前で崩れていくのを座視しては権力の思うつぼであるという思いから、リレーエッセイを掲載する。


大切な我が子を戦争なんかに捕られてたまるか!そんな気持ちで9条の会に入りました。

私の父は薬屋でしたが、戦争当時医師がいないため多くの人が薬局に薬や病気の相談に来たといいます。何故医師がほとんどいなかったのか?皆軍医として徴用されたからです。
軍医として戦争に行かされたのが夫の父です。

「軍医殿,この軍刀であの捕虜の首を試し切りにせよ!」恐るべき命令をされたといいます。 
「私は、医者です!人の命を救うのが、医者の私の務めです!」きっぱり断ったといいます。
戦場で兵士を治してもまた、その大切な命をかけて戦いに出される。「何と虚しい事か! 
戦争は人間を狂わせるんだよ。戦争だけは二度としてはならない」

ささやかな幸せも人間としての尊厳も破壊する戦争
戦争だけは絶対イヤ

日本国憲法があるから、9条があるから日本はずっと平和だね!
ずっとずっとこう言い続けられる国であるように!

佐々木 眞知子


戦争を知らない子供たち

20代に流行った歌謡曲で、歌声喫茶でもよく歌われていました。「平和」の申し子として、生まれ育てられたので、世代としても一種の「プライド」として平和を勲章のように、掲げて翳していたような気がします。
戦争は知らないんだけれど、大きな反省の上に、打ち立てられたこれからの世の中の行く末が、僕達に託されていて、人々の平和を願い、平和の歌を口ずさんでゆくんだという軽い気持ちだったのです。
それから半世紀がたち、平和をかなぐり捨てて戦争の道へ進もうという法律が出来てしまった。別に国民が許したわけではないのですが、このままでは僕達の人生の整合性さえも失われてしまうような気がしています。
僕達が反省しなければならないとしたなら、平和に慣れ過ぎて緊張感のない生活の中で、戦う気持ちが薄れていたことかもしれません。
「平和」を、本当に戦い取るのは今でしょう。老人のパワーを見せつけたいと、気持ちは大いに盛り上がっています。

巨悪の姿を探しましょう

安倍晋三の自信たっぷりの背景には、アメリカの武力があると言いますが、これははかない幻想。基盤を支えているのは、財界の後ろ盾ですね。戦争を仕掛けるのは金融支配を凌ぎにしている連中なのだから。
本当の敵は、目前の権力者たちではなく、その後ろに隠れている巨悪ですから、その辺をよく探そうとする目線で、共同にするべきだと。
巨悪は常に隠れています、表には出て来ません、幕府を倒したのも、明治維新も、2度の大戦の終止も、恐らく同一家系の金貸し一族です。米国の金融支配層もインド系の移民、ユダヤ件の移民の一部だそうで、すべて闇の中でしょうね。
大きな力であぶり出さねば、出ては来ません、小さな力で切り込めば「消され」るらしいので。じっくりと時間をかけて大きな力を結集して、そのためにはやはり平和運動が欠かせないのだと、これに依拠するしか方法はないのだと。
確信しているところです。


一番苦手なことをしている、その理由

私は言語や文学には関心がありますが、政治、経済の話は苦手で、聞くことも話すこともあまり好きではありません。

そういう関係の方々とは関わりを持ちたくなかったのに、たかさき9条の会の世話人になってもう10年近くになります。

署名活動、チラシ配りなど街頭宣伝は勿論のこと、講演会を聞きに行くことも気が進みません。大体において、人様の話を傾聴しているばかりでは楽しくありませんから。

ですから、友人たちに会ったり手紙を書いたりして戦争法の廃止を求める署名を頼むことも、紀伊国屋書店前でチラシを配ること、講演会へのお誘いの電話をかけること、デモに出て大声を出したりするのは本当に嫌ですし、つらいものがあります。

ここ数年来私は、「もう世話人を辞める!年だし!」と周りに言い、内心でもいつもそう叫んでいます。

それなのに、最近の世の中の動きが私を辞めさせてくれません。私の小さな活動一つでもやっていなければ後に激しく後悔するように思えてなりません。

ですから、苦手なことを我慢してやっています。

もう一つ理由があります。それは「日本国憲法」です。

学校で初めて「日本国憲法」を読んだとき、その内容と文章の格調の高さに身の震えるような感動を覚えました。もはや、それは文学的境地に達しています。

貧しく、不平等な世の中でも、きちんとまじめに生きていれば、人間としての尊厳が保障され、戦争のない平和な国で生きていくことができるのだという希望に満ちた未来を信じさせてくれました。

それが揺るがされようとしている 今、どうして苦手なことだから、といって辞めることができるでしょうか。

渡辺 陽子

私は東区に住んでいますので、東区9条の会にも入っています。

17日東区実行委員会として2.11集会アピール「戦争法廃止に向けて、国政選挙で野党は共闘して下さい」の文を持参して、民主党、社民党、維新の会、日本共産党を回り、日頃の感謝と野党共闘のお願いをしました。どの政党も前向きでした。

更にその下支えとなる団体:札幌弁護士会、連合北海道、平和運動フォーラム、道労連、憲法センターにも行き、19日行動の共同の継続、5.1メーデー、5.3憲法記念日の共同をお願いしてきました。

そんな中で、19日の教育文化会館での調印式、歴史的調印と言うことで、大変感動的でした。

同時に国会では5野党の選挙協力が成立して、本当に嬉しかったです。

私も一市民として2000万統一署名活動や市民運動に参加して「野党は共闘!」の下支えになりたいと思っています。

上野和子